MARUGOTO REPORT 農業まるごとレポート

農家が一歩踏み出せる場を(国分寺市・国分寺中村農園)

 国分寺中村農園は東京都内でも武蔵野の面影の残る国分寺市にあります。国分寺中村農園では、耕作面積は0.8ha程度と小規模ながら、「紅ほっぺ」「かおりの」などの施設栽培のイチゴ、江戸伝統野菜である東京ウドを始めとして、春夏は枝豆やトウモロコシ、トマト、キュウリ、オクラなど、秋冬はキャベツ、ブロッコリー、大根、人参、カブなど多種多様な野菜作りを行っています。

ハウス栽培でつくられる完熟のイチゴ

 国分寺中村農園の主力は、ハウス栽培でつくられたイチゴです。およそ3/4が紅ほっぺ、残りの1/4がかおりのという品種で、消費地の近さを活かして完熟で収穫しています。東京産のいちごはまだ少ないですが、未熟な状態で収穫することが多い他産地のものに比べて、より味の良いものを消費者に届けられるというメリットがあります。その美味しさや食感が評価され、国分寺中村農園のイチゴは直売所や地元の「しゅんかしゅんか」やJAの直売所だけでなく、「こくベジ」として地元の飲食店にも出荷されているそうです。

 イチゴ栽培のシステムは、効率的な栽培を行うため、都や国からの補助も活用しながら導入したそうです。炭酸ガス施用システムをいち早く導入し光合成が活発になる環境を作ったり、太陽光バッテリーを用いてハウスの側窓の開閉を行ったりといった先進的な取り組みを行っています。また、高さを調節できるプランターを導入しており、作業スペースを確保しつつより多くの苗を栽培できるようになっています。

国分寺中村農園の「紅ほっぺ」
UVBといううどんこ病を抑制するライト
受粉を促すためのマルハナバチ
高さが変わるいちごのプランター
色づき始めた「かおりの」
ハウスに実るイチゴの実

 さらに、ハウス内にはいくつかの設備が導入されています。例えば、うどんこ病対策としてUVBというライトが使われています。このライトを夜間に短時間点灯することによりうどんこ病を抑制し、ダニの防除としてミヤコカブリダニという天敵を導入するなど、IPM(総合的病害虫管理)技術を取り入れて減農薬に努めています。また、ハウスでは自然受粉は難しいため、マルハナバチを使っています。ミツバチではなくマルハナバチを使う理由としては、温度が低くても活動が活発であることが挙げられます。少し大きいですがおとなしい性格のマルハナバチは専用の巣箱で手軽に飼え、持ち運びも可能です。

 中村さんは江戸東京野菜のひとつ、ウドにも力を入れています。ウドは穴蔵で育てられることも多いですが、国分寺中村農園では遮光型ビニールハウス内に発砲スチロールの小屋を作り、日光が当たらないようにして栽培しています。近年、ウドを使う飲食店が減っており、消費者離れも進んでいるため、こくベジでうどフェスタなどを行い、宣伝を行っています。ウドには独特の風味があり、苦手な方もいらっしゃるかもしれませんが、食べ方によってはとても美味しい食材です。中村さんのオススメの食べ方はウドの天ぷら、ウドとツナとひじきの和え物だそうです。

地域の方々に気軽に野菜を手にとってもらうために

 国分寺中村農園の直売所ができたのは10年前。ご近所の方ができるだけ気軽に立ち寄れるようにというコンセプトで始めました。味は美味しくても形が不揃いだったり大きかったりする野菜を安く売っていることもあるそうです。無人の直売所で野菜の自動販売機のような形で売られているため、お手軽ですね。

 中村さんが栽培した人参は、近隣の小学校3校の学校給食でも使われています。それぞれの学校とは個別契約を行なっており、安定供給に気を遣っているといいます。学校に出荷している人参はある程度大きくなる品種を作っているそうです。子どもたちにはできるだけ安全な人参を食べてほしいと思っているため、農薬の量を最大限減らすように心がけています。このために、夜間には害虫であるヨトウ虫等の害虫よけのための防蛾灯をつけています。こうすることで、ヨトウ虫が緑色の防蛾灯の光で昼だと勘違いし活動しなくなり、食害が進まなくなります。これにより、農薬の量を従来の1/3程度にまで減らすことができています。

国分寺中村農園の無人直売所
圃場に設置された、害虫よけのための防蛾灯

 都市農業は生産量が限られているため、中村さんはただ作物を「生産する」ことだけでは大規模産地に勝てないと考えています。そこで、目の前の消費者に農産物の「旬」を伝え、体験できる産業に変えていきたいと考えています。同時に、直売所という形で自分の手で売っていくことも重要だと思っているそうです。

「おじいちゃんが作ったキュウリは最高」。娘さんの一言で農家に

 もともと商社系の会社で働いていた中村さんが立川の東京都農林総合研究センターでの研修を経て就農したのは10年ほど前のこと。結婚して婿養子となっていたものの、最初は農業をするつもりは無かったといいます。転機となったのは、サラリーマンだった頃のある休みの日、娘さんと畑を歩いていたときでした。畑に実っていたキュウリをもぎとり、それをかじった娘さんが一言、「おじいちゃんが作ったキュウリは最高」。そのとき、中村さんは当時ご自身がやっていた仕事とは違う価値観や、自分で作ったもので自分の子どもを育てられるという農業という産業の凄さを感じ、就農を決意したそうです。

国分寺中村農園のいちごハウス

 農業を始めてから感じたことは、農業は簡単ではないということでした。就農前は、種を蒔いて水をやっていれば作物は勝手に育つと思っていました。しかし実際には様々な面倒を見てやらないと育たないため、簡単ではないなと感じたそうです。また、サラリーマン時代にはただぼうっと眺めていた旅先の車窓の畑が、農業を始めてからはとても気になるようになり、景色の見え方が変わりました。

 また、就農してから変わったこととして、地域で生きるという意識がとても強くなったと感じられているそうです。サラリーマン時代は夜帰ってきて寝るだけだったため、地域の組織に在籍こそしてはいたものの会話の糸口さえ思うようにつかめず、地元の仲間は多くはありませんでした。しかし農家になってからは、地元の神社の氏子組織に入って夏祭りや季節ごとの行事に参加したり、ご近所のお葬式を手伝ったり、農協の用事でいろいろな場所に顔を出したりと、地域に多くの知り合いが増えたそうです。これまでそこまで密な付き合いのなかった農家の親戚の方々にもかわいがってもらい、いろいろな情報を教えてもらうようになりました。

農家が一歩踏み出せる場を

 就農して以来、地域との関わりを大切に思うようになった中村さん。最近は、農家同士の付き合いだけではなく、地域通貨「ぶんじ」など、地域を盛り上げようとしている非農家の方との連携にも力を入れています。国分寺野菜を飲食店に出荷する取り組み「こくベジプロジェクト」に参加してからは、国分寺中村農園の野菜を使っている飲食店に顔を出すことも増え、地域の輪が広がっています。現在はプロジェクトの代表も務めており、さらなる拡大に向けて価値観を共有できる農家を増やしていきたいと考えているそうです。

 さらに2018年6月には、中村さんがオーナーとなり、東京都心の赤坂に東京農村というビルも設立しました。もともと、地域とつながり農業をさらに魅力的にしていくためには、国分寺という限られたエリアにとどまらずオール東京でやっていきたいという想いがありました。ちょうど国分寺中村農園の農地の一部が道路収容となり、その代替地として赤坂の土地が確保できたことから、国分寺・国立エリアで農産物流通を営むエマリコくにたちと連携し、東京農村の設立に至ったといいます。東京農村の企画の一つである「東京農サロン」では農家やベンチャーとの新しいつながりも生まれつつあり、農家自らの手によって東京の農業を発信する拠点として、今後の展開に注目が集まっています。
東京農村の記事はこちらからどうぞ。

東京農村ビルの外観。

 中村さんは、この10年、東京の農業を取り巻く応援団が少しずつ増えてきたと感じています。汚い・きつい・金にならない産業というイメージが強かった昔とは変わり、最近は若い人が農業に興味を持つようになってきました。このような動きは、若手の農家のモチベーションにも繋がっているといいます。しかしながら、農家の多くは関わってくれる人を「待っている」状態で、自分から踏み出す人はまだ少ないのが現状です。中村さんは、そのような農家に向けて場を作り、興味を持ってくれる人たちに対して農家の側から一歩踏み出せるようにしていきたいと考えています。農家の側から変わることによって、都市農業や地域に新たな広がりが生まれ、環境変化のなかで都市農家が新たな役割を果たせるようになるはずです。熱い想いをもった中村さんの取り組みは、まだまだこれからも、続いていきます。

モリタ男爵もネギの出荷作業を体験させていただきました!

国分寺中村農園 プロフィール

奥田 晏子

アグリドットトーキョー編集部。津田塾大学学芸学部英文学科所属。「農業サークルぽてと」に所属しており、森田との縁からぽてともっとに参画。もともと、祖母が家庭菜園をしており、幼い頃から農業が生活の近くにあったことから都市農業にも興味を持ちました。都市農業を始めとして新たな農業の「カタチ」をもっと知っていきたいと考えています。ディズニー映画が昔から大好きで、ディズニーリゾートにもたびたび足を運んでいます。テーマパークの地図を覚えることに苦戦中。好きな野菜はトマト。

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