地域の農家さんと連携して、持続可能な酪農経営を目指す。条件不利な神奈川で、石田牧場が牛を飼い続ける理由とは。(神奈川県伊勢原市・株式会社石田牧場)
神奈川県の中でも指折りの農業地帯である伊勢原市。冬の農閑期でも収入を得られる副業として牛を飼う人々が多かったこの地域では、今なお数多くの酪農家さんが土地に根差した経営を行っています。今回取材にご協力いただいた株式会社石田牧場を経営する石田陽一さんもその一人です。
神奈川のような都市近郊での酪農経営は、一筋縄にはいきません。石田さん自身も様々な葛藤と課題を抱え、それを一つ一つ乗り越えながら事業成長への道筋を辿ってきました。例えば、農場HACCP、JGAPの認証取得、クオリティの高いジェラート製造など、そのチャレンジは多岐に渡っています。都市近郊で持続可能な酪農経営を確立するためには何ができるのか。石田牧場の歩みと、これからの展望をご紹介します。
石田陽一青年の海外渡航。そして挫折。
石田牧場の歴史は昭和40年代中頃、石田さんのお祖父様の代から始まりました。石田さんは、中学生の頃から家業の酪農に興味を持ち、将来は実家の酪農を継ぎたいと考えるようになったそうです。中学卒業後は、畜産科のある高校に進学し、その後は北海道江別市の酪農学園大学に進学。日々牛について勉強に励む日々を送りました。そして大学を卒業後、ワーキングホリデーという形でニュージーランドに渡航し、現地の牧場での業務に従事しました。このときの体験が現在の石田さんの価値観の根底にあるそうです。
石田さんを驚かせたのは、何よりもニュージーランドの酪農の圧倒的な規模でした。石田さんを受け入れてくれたホストファミリーの牧場では、700haの草地で約2000頭以上の牛を飼育、それを13人の従業員で回していました。草地面積は実に東京ディズニ―リゾート7個分の広さを誇ります。日本の都府県の家族経営では40~60頭程度の牛を2~3人という少人数で管理するのが一般的であることを考えると、その差は歴然としていました。しかも、広大な草地の使い方も日本とは異なりました。昼夜季節問わず常に牛を草地に放牧することで土地の生産性を向上させ、しかも生産性を向上させた暁にはその土地を売買することが一般的だったそうです。
このとき石田さんは、ニュージーランドの大規模酪農に驚くと同時に「このシステムで生産された乳製品が日本に入ってきたとしたら、神奈川の酪農は太刀打ちできない」と感じたといいます。そもそも、石田牧場がある神奈川県は、日本を代表する大都市です。ニュージーランドのような広大な草地を確保することはできないだけでなく、周りに大勢の人が生活しているため、堆肥の臭気や騒音などにも配慮しなければなりません。さらに牛に給与する飼料の大部分も海外から輸入せざるを得ないため、飼料の価格が海外の状況に左右されやすいという欠点も抱えています。ニュージーランドの酪農と比べ経営的な条件不利が幾重にも張り巡らされた都市近郊酪農。日本に帰国した石田さんは、神奈川で酪農を営む意味を見失ってしまったそうです。
神奈川で酪農を営む意義。
それは周りに人がたくさんいること。
2008年のある日、神奈川で酪農を営む意味を見出せず、悶々とした気持ちを抱えながら実家での業務に携わっていた石田さんの元に、近所の保育園から「牛さんについて教えてください」と課外授業の依頼が舞い込みました。
依頼を引き受けた石田さんにとって、子どもたちの反応は予想外のものでした。園児の1人が「牛乳=牛の乳」だということを知らなかったのです。引率していた先生も、人間と同じように牛も妊娠しないと乳を出さないということを知りませんでした。また、神奈川に牧場があるということも、ほとんど知られていませんでした。
何十年も家族で守り続けてきた牧場が、その存在すら認知されていなかったことが衝撃的だったという石田さん。しかし、それは「酪農家が消費者に目を向けないから消費者も酪農の現場に関心を抱かない」ということなのではないか。そう考えた石田さんは、酪農や牛についてもっと多くの子どもたちに伝えていきたいとの想いを持つようになりました。そして2009年には、牧場を教育機関として開放し、牧場体験や小学校への出前授業などを行う「酪農教育ファーム」の認証を取得しました。
「最初はおっかなびっくりだった子どもたちが、手から牛に餌やり体験を通じて、大抵の子が牛に触れるようになります。牛が排泄するだけでも大爆笑の渦が巻き起こります。」石田さんは子どもたちに教えることよりも、子どもたちから教わることの方が多いといいます。牛の排泄や食事は、酪農家にとってごくごく当たり前でありふれています。しかし、子どもたちにとって牛は、その行動一つ一つがとても新鮮で、ときには恐怖を感じてしまうこともある存在です。そんな子どもたちでも、触れ合いを通じて牛との距離が縮まります。石田さんは、そのプロセスを間近で見ているうちに、「牛は生きているだけで子どもたちに感動を与える」ということに気づいたそうです。
石田さんは、酪農教育ファームでの子どもたちとの交流活動を通して、都市近郊に酪農があることの意義は、「たくさんの人が近くにいること」だと考えるようになりました。神奈川県の人口は約900万人、神奈川県と隣接している東京都の人口は約1300万人です。合わせて約2000万人もの人々が石田牧場の周囲で生活しています。総人口が約500万人のニュージーランドと比べると圧倒的な差があります。この立地条件を生かして多くの人々に酪農の魅力を知ってもらうことで、牛乳をより美味しく飲んでもらいたい。今までの発想から180度転換し、神奈川で酪農を営む意義を見つけた石田さんは、誇りと自信を持って仕事に打ち込むようになりました。
高品質の牛乳と、伊勢原の地場農産物から作られたジェラート。
石田さんが目指すのは地域の「めぐり」
石田牧場の牛舎のすぐ近くにあるのは、石田牧場で生産された牛乳を原材料にしたジェラートを販売する店舗、「石田牧場のジェラート屋 めぐり」です。石田さんが酪農の6次産業化に取り組み始めたのは約10年前、奥様とのご結婚がきっかけでした。石田さんは奥様に対して、「農家の嫁」として家事や子育てをしながら仕事を手伝ってもらうよりも、責任のある仕事を担ってほしいと考えていたそうです。奥様は高校で食品加工を専攻されていたということもあって、2人で話し合う中で「食品加工にもチャレンジする」という目標ができたといいます。そのような経緯で誕生したのが「めぐり」でした。
数ある乳製品の中でジェラートを選んだ理由は、「ジェラートは牛乳だけでは作れないから」だといいます。チーズやヨーグルトなどは牛乳だけあれば製造することができます。しかし、ジェラートとなると様々なフレーバーを用意しなければならず、牛乳だけではどうしても製造できません。
伊勢原市は酪農以外にも野菜、果樹、花卉などバリエーションに富んだ農産物の産地です。石田さんは、そんな魅力がたくさん詰まった農家さんがたくさんいるのに「自分だけが頭一つ飛びぬけて成功するのは面白くないな」と思っていました。そこで、あえて牛乳だけでは作れないジェラートを商品にすることで、伊勢原を中心に県内の農家さんと取引を行うことにしたそうです。
「石田牧場のジェラート屋 めぐり」では、多くの農家さんと連携して美味しいジェラートを作ることによって、神奈川でも農業が盛んに行われていることをアピールしていきたいといいます。そして、その美味しさにある裏側のストーリーを消費者に伝えていくことにより、「こんな若い人が農業に従事しているんだ」「子育てをしながら農業に携わっているのか」といった美味しさとは別の感動を感じてもらいたいと考えています。
「めぐり」を立ち上げ、直接消費者と触れ合う機会ができたことで、石田さんの意識も変化したといいます。お客さんとして小さな子どもが訪れることも多く、「この子の口の中に入るものを自分は作っている。変な物は食べさせられない」という意識が生まれ、めぐりがオープンする前よりも一層衛生面に気を配った搾乳作業を心掛けるようになったそうです。
「めぐり」での販売によりお客さんの顔を想像できるようになったのは、石田さんだけでなく取引先の農家さんも同じです。石田さんは自分だけでなく、農家さんにも「石田の所に出す物なら手は抜けない」とより高品質の農産物を生産してもらうことによって、地域全体で農業を盛り上げて豊かになっていきたい、地域活性化の「めぐり」を創りたいと考えています。
意識の変化は、石田牧場の経営方針にも表れています。その1つが農場HACCPの認証取得です。農場HACCPとは畜産農場において、製品を生産する過程における衛生管理、安全管理上危険なポイントを洗い出し、その対策を講じておくという考え方です。毎日生産管理の記録を残しておくことが義務付けられるうえに、認証継続のための定期的な審査も実施されます。
また、農場HACCP以外には、J-GAPの認証も取得しています。農場HACCPは主に牧場の内部をマネジメントすることが目的なのに対し、J-GAPは牧場の外部、例えば自家製飼料生産工程のシステム化、安全化、データの蓄積などといったことをマネジメントしています。認証取得により土や飼料の段階から牛乳の安全性を証明できる体制が整いつつあるのです。
これらの認証の有用性は、客観的な視点を元に安全性を証明できるエビデンスが手に入ることにあるそう。「めぐり」で製造されるジェラートは農場HACCPによる徹底された管理の元で生み出されています。
都市酪農最大の課題は糞尿の処理。
土→草→牛乳の各ステップで、持続可能な酪農経営を実現する。
石田さんは、酪農経営において最大かつ大前提となる課題は糞尿処理だと考えています。牛は一日で合計70~90㎏程度の糞尿を排出します。この糞尿の処理を如何にして行うのかが、都市酪農では絶対に向き合わなければならない課題です。
石田牧場から排出される堆肥は、自家製飼料を生産する畑に使用する分と県内の野菜農家さんに販売する分とで現状は捌くことができています。しかし、今後高齢化と担い手不足で、農家さんからの堆肥の需要が減っていくのではないかと危惧しているそうです。
そこで石田牧場ではBtoBだけではなくBtoC、つまり農家さん向けの堆肥販売だけではなく、家庭菜園目的で堆肥を利用したい個人向けの販売を強化したいと考えています。そのために現在は市場調査を行いながら、デザインやPR方法を検討している段階です。
個人向けの堆肥販売を強化するにあたり、石田さんは「石田牧場の堆肥だったら価値がある」と思ってもらえることが必要だと考えています。農場HACCP、J-GAP、めぐり、酪農教育ファームといった石田牧場の個性を元にブランディングを行いながら、堆肥のマーケットを広げていきたいと意気込んでいます。
さらに、石田牧場では、伊勢原市内の農業者であり、「めぐり」にも農産物を供給している細野農園と連携して、WCS(ホールクロップサイレージ)を生産する取り組みも計画しています。WCSとは、稲の実と茎葉を同時に収穫し発酵させた牛の飼料のこと[i]。全国的にはメジャーな取り組みになりつつありますが、神奈川県ではまだ事例がないそうです。WCSの生産は、酪農家と農業者の双方にメリットがあります。酪農家は、農業者との間でWCSを売買契約することで、飼料の安定的な入手が可能になります。近年は世界情勢の煽りを受けて飼料価格が高騰しており、国内で生産することが経営の安定化に繋がります。一方で農業者では、食用の稲を作付けしている水田を飼料用に転換することが可能になります。政府は、需要に応じた生産を行うことを促しており、水田を転換してWCSを栽培した農業者は交付金を受け取ることができます。
[i] 農林水産省 https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1011/report.html
石田牧場では約30%程度の飼料を自家生産できています。神奈川県平均の飼料自給率10%と比べても高い数字です。そこへ更に細野農園と売買契約した飼料が手に入れば更なるコスト改善が見込めます。また、前述した石田牧場の堆肥をWCS栽培に使うことができれば、堆肥の処理にも繋がります。
このように石田牧場では、堆肥→飼料→牛乳という各ステップで、地域と密着して持続的な酪農経営を実現しようとしています。
石田牧場が目指すビジョン。
その終着点は「辞めないで」と言われる牧場になること。
石田さんが酪農家として最終的な目標として掲げているのが、「石田さん、どうか酪農を辞めないでくださいね」と近隣住民や行政に言われるような存在になることです。「消費者にしてみれば牧場が1件廃業したところで特に困ることはないはずです。ですが、酪農を辞めないでほしいとお願いされるほど、石田牧場を、酪農を消費者にとって大きな存在に成長させること目標です。私の行う事業すべてがその目標に結びついています。」
石田さんの前向きで熱意のこもったお話をお伺いして、石田牧場のこれからの取組みがますます楽しみになりました。石田さん、お時間をいただきありがとうございました!
株式会社石田牧場 プロフィール
- 住所:
神奈川県伊勢原市上谷777(ジェラートショップ株式会社めぐりも同住所)
- アクセス:
小田急小田原線伊勢原駅より徒歩約30分、車で約10分
- ご連絡先:
0463-95-3221
- 公式ホームページ::
小林 子龍
東京農業大学農学部動物科学科所属。東京都出身。都内の農業系高校に通っていたことが農業に興味を持ったきっかけ。大学以外のコミュニティでも活動して視野を広げたいと考えぽてともっとに加わる。東京という畜産経営のハードルが高い環境下でどのように経営をしているのかを吸収し、発信していくことが目標。
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