未来にバトンを繋ぐため、農業の「見える化」に挑む(三鷹市・吉野園)
中央線武蔵境駅よりまっすぐ伸びる道を南下し、東八道路と直角に交わる場所に、キウイを主力とした果樹の生産を行う吉野園があります。三鷹に愛着を持っているという吉野園の吉野均さんが販売している果物は、地元に沢山のファンを抱えています。
開発が進む今、都市の農地を残すことは容易ではありません。吉野さんは、日々の作業に精を出しながら未来まで吉野園が存続し続けるにはどうすればいいか常に思案を繰り返しています。まだ幼い3歳の息子さんのためにも、「次世代に農地を残す」。そう使命感に燃える吉野さんの姿を紹介します。
甘いキウイと出会って、食品スーパー社員から農家に
吉野さんは元々埼玉県ふじみ野市のご出身で、生まれは農家の分家の家系でした。そのため、農業はもともと身近な存在だったそうです。しかし就職先は全く異なり、食品スーパーでした。最初の配属先は作業改善のモデル店舗で、そこではスーパーで勤務する人が働きやすいような動線や業務マニュアルを整備する取り組みが行われていました。例えば、「初めてその店で勤務する人でもハサミがどこにあるのか分かる」というレベルまで「見える化」を進めていったそうです。
モデル店舗を含め、店舗スタッフとして約6年間勤務し、その後は本部スタッフとして各店舗を回る仕事に携わりました。土日など周囲の友人が休日であるタイミングが忙しく、職業柄、どうしても長時間勤務せざるをえないことも多かったといいます。
食品スーパーでの勤務が9年目を迎えた頃、吉野さんはご縁があって奥様とご結婚しました。 吉野さんを農業の道へと突き動かすきっかけになったのは、結婚をする前に「食べてみな」と義理のお父様から渡された1つのキウイでした 「今までキウイは酸っぱい果物だという印象があり、あまり好んで食べることはなかったのですが、義父から渡されたキウイはとても甘くて美味しい物でした。『キウイって甘いんだ』という発見が感動的で、この美味しいキウイを多くの人に食べてもらいたいとそのとき感じました。」こうして吉野さんは10年間勤めた食品スーパーを退職し、吉野園で農業に携わる道を選択しました。
三鷹の農家として生きていく選択をしたことを振り返ってみてどうか、伺ってみました。「農業を始めてからは、仕事とプライベートのバランスが良くなり、家族と過ごす時間も増えました。今では仕事終わりに子供たちと一緒にお風呂に入る時間が毎日の楽しみになっています。」そう答える吉野さんの顔はとても生き生きとしていました。
義父と婿。吉野園のパートナー関係
就農することを決意した吉野さんは、2014年から2015年にかけて、立川市にある東京都農林総合研究センターで、栽培研究のアシスタントとして農業技術研修を受けました。作業に携わる果樹は、東京都で生産量の多い作物である梨と葡萄が多かったそうですが、吉野園で栽培しているキウイや柿とも共通している部分が多く、果樹の基礎を十分に学ぶことができたそうです。
研修を受けて就農して5年が経つとはいえ、吉野園の経営者は吉野さんのお義父様です。一般的に、親子で事業を行う場合には、意思決定や経営方針で行き違いが生じることもあると言われています。確かに、吉野園でも研究結果に基づく知見を優先するか、経験を基に判断するかといった問題が生じることもあるそうです。しかし、お義父様は冷静に判断し、的確なアドバイスをくれるそうで、吉野さんは己の考えの甘さを痛感することもしばしばだそうです。義父と婿というともすれば難しい人間関係ですが、吉野園ではお互いを支えあう良きパートナーとなっていることが、吉野さんのお話から伺えます。
LINE公式アカウントを活用して、
地元三鷹に美味しいキウイを届けたい
吉野園では自宅敷地内に設置された自動販売機での売り上げが6割、お歳暮など贈答用として販売する商品の売り上げが4割を占めているそうです。 最近農業界ではECサイトが注目されており、そのようなサイトを利用して販売する農家さんも増えてきました。しかし、吉野さんはECサイトを通じて全国に販売するよりも、地元である三鷹に住む方々に吉野園のキウイを届けたいとの思いが強いといいます。「全国に目を向ける前に近場が全然拾いきれてないな。」そう気づいたことから吉野園のLINE公式アカウントを開設し、取り置きの予約など、お客さんと直接コミュニケーションを取れるようにしたそう。お客様と実際にコミュニケーションを取り販売するなかで、三鷹の農業の魅力も再認識したそうです。お客さんから直接『美味しかった』の声を聞けることが一番のやりがいになっているといいます。
「おじいちゃんと一緒に作った畑だよ」
農地を未来に受け継ぐために、GAP取得を目指す
今年の夏頃から、吉野園では直近の大きな目標として、東京都GAPの取得を目指しています。GAPとは「農業生産工程管理」と呼ばれ、食品安全・環境保全・労働安全の観点に基づいて農園を整備し、持続可能性を確保する取り組みのことで、都道府県ごとに独自の基準が設けられています。 吉野さんが東京都GAP取得に舵を切った理由は、「事故がなかったのは偶然だ。」という意識が根底にあるからです。吉野園では今まで人命に関わるような事故は幸いにも発生していませんが、リスクが完全にゼロというわけではありません。そのため、いつどこで起こるかわからない事故を未然に防ぐために、GAPを有効活用してリスクを洗い出し、客観的に農園を分析しようと試みています。
GAPを取得するにあたり、吉野さんが具体的に整備を進めていることは2つあります。 第一に、経営や日々の業務のマニュアル化です。農業経営から始まり、土づくり、農薬、肥料、衛生管理、農作業安全などのカテゴリーごとに業務マニュアルを作成し、生産工程におけるリスクと対応方法を細かく洗い出しています。これらのマニュアルは様々な資料に基づいて吉野さん自らが制作しているそうです。
第二に、農機具や薬品など農業に用いる資材・農薬の管理の徹底です。これらはちょっとしたミスや油断から重大な事故に繋がる恐れがあり、全国では農薬の誤飲などの事故も発生しています。このため、吉野園では殺菌剤なら殺菌剤、殺虫剤なら殺虫剤と収納するトレーをラベリングし、用途別に明確に分けています。更にそれらの農薬がもし何かの拍子に転倒して中身がこぼれてしまっても飛散することがないようにしています。
東京都GAPは東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の食材調達基準を満たしているため、農家がGAPを取得した場合、大会への農産物供給が可能になるとされています。このため、取得農家にとっては、一時的なものではありますが出荷先が多くなるというメリットがあります。しかし、吉野さんは東京オリンピックに農産物を供給したいというよりも、吉野園の経営や業務を正確にマニュアル化することにより、吉野園を維持・改善するための手段として活用したいという考えが強いといいます。
その理由は、吉野さんの「ゆくゆくは次世代に農地を継承していきたい」というご意向と関係しています。農地の継承のためには、息子さんが大きくなったときに「農業をやりたい!」という強い動機に基づいた就農意欲がなくとも「これなら継いでもいいかな」という環境にしておくことが重要だと考えているそうです。その際、勘と経験だけに基づくような農業のスタイルではそうは思ってもらえないと吉野さんは考えています。 それを改善するための手段がGAP取得であり、取得のプロセスを通じて負の遺産は取り除き、良いところだけ次世代に残したいと考えています。東京都GAPは「取得すること自体」はそこまで難しくないそうです。むしろ、取得しただけで満足せず、「継続的にきちんと運用」していくことができるかが重要だといいます。「『この農園はおじいちゃんと一緒に作ってきたんだよ』と言って義父が頑張ってきたことを息子にも伝えたいです。そのためにGAPの力を借りていこうと思います。」
一般的に、GAP取得に舵を切ろうとしても、今まで自分たちのやってきたことが否定されているような感覚になり、親世代、祖父母世代が難色を示すことが多いそうです。農地や施設内の片づけもなかなか理解を得られない場合もあるといいます。しかし、吉野園のGAP取得は、単にご自身の営農のためだけでなく、孫のために吉野園を今よりもっと良くするという意味をもったものです。この想いが伝わっていったので、当初は不安を感じていたお義父様も、今ではGAP取得に協力してくれているといいます。
後継者に誇れる農業を目指して
「東京の農地は相続の問題などで存続が危ぶまれていますが、消費者のおいしいという声を直接聞くことができるところが大産地とは違う魅力だと思います。そのため吉野園の農地はなるべく先まで残していきたいです。」吉野さんはそう語ります。東京都GAPにまつわる吉野さんの手間と苦労からは、三鷹という地域、そして吉野園に対する熱い想いを感じさせられます。
吉野さんの、新しい考え方も柔軟に取り入れながら日々懸命に打ち込む様子はとても輝いて見えました。いつの日か子ども世代に「継いでもいいかな」と思ってもらえるように、毎日の経営改善を積み上げている吉野さんの姿に改めて感銘を受けた取材になりました。
吉野園 プロフィール
- 住所:
東京都三鷹市野崎3-6-25
- アクセス:
JR中央線・西部多摩川線武蔵境駅よりバスで15分程度
- 電話番号:
0422-31-7672
- 栽培品目:
キウイフルーツ、柿、栗、ミカンなど
小林 子龍
東京農業大学農学部動物科学科所属。東京都出身。都内の農業系高校に通っていたことが農業に興味を持ったきっかけ。大学以外のコミュニティでも活動して視野を広げたいと考えぽてともっとに加わる。東京という畜産経営のハードルが高い環境下でどのように経営をしているのかを吸収し、発信していくことが目標。
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